三島由紀夫は、ダリの聖画が好きだったそうです。
ここに紹介されているのは、「磔刑の基督」
「三島由紀夫の愛した美術」 宮下規久朗 井上隆史
こちらと同じくらい好きだったのが、「最後の晩餐」
ワシントンナショナルギャラリーに収蔵されています。
この絵に言及した短い文章が、昭和43年に発行された「吉田健一全集」に収められています。
全文ご紹介させていただきます。
サルヴァドル・ダリの「最後の晩餐」を見た人は、卓上に置かれたパンと、グラスを夕陽に射貫かれた赤葡萄酒の紅玉のような煌めきとを、永く忘れぬにちがいない。それは官能的なほどたしかな実在で、その葡萄酒はカンヴァスを舐めれば酔いそうなほどに実在的に描かれている。それならカラー写真の広告でも同じといわれそうだが、実在の模写の背後に、あの神聖な、遍満する光の主題があるところが、写真とはちがっている。その光の下で、はじめてダリの葡萄酒はキリストの葡萄酒たりえているのである。
吉田健一氏の或る小品を読むたびに、私はこのダリの葡萄酒を思い出す。単に主題や思想のためだけなら、葡萄酒はこれほど官能的これほど実在的である必要がないのに、「文学は言葉である」がゆえに、又、文学は言葉である事を証明するために、氏の文章は一盞の葡萄酒たりえているのである。
-昭和43年7月 吉田健一全集9帯「ダリの葡萄酒」 原書房
-「三島由紀夫の美学講座」 ちくま文庫
最後の一文はなかなか不思議です。「或る小品」なんでしょうね。
この吉田健一評を読んでいて、前にご紹介した胡椒亭の小川斌さんのこの言葉を思い出しました。
「吉田健一」道の手帳 河出書房出版
「先生が坐られるカウンターの席は西向の表に近い処でしたので手にされたグラスの葡萄酒の色はそれは何とも美しい光で先生はやさしく目をほそめて楽しんでいる様子でした。」
「小川軒のころ」-小川斌
吉田健一の携えるグラスのワインは、特別な光を放っていたのかもしれないですね。