大阪関西万博2025ベトナム館
高校3年生の時、中等部にベトナム難民の女の子が編入してきました。
図書館でよく出会うようになり、なんとなく仲良くなりました。
それから、家に遊びに来るよう誘ってくれたので、遊びにいったのですが、つまりそこは難民センターで・・。
彼女の名前はドアン・トラン、愛称はミミでした。
ミミは、7人兄弟で、お兄さんが3人、妹が3人、そしてお母さんと難民センターで暮らしていました。
みんなとても美しく聡明でした。
ミミの兄妹たちと遊ぶ時間は、この上なく楽しくて、人といてこんなに安心できる事ってあるんだなあと感じていました。
自分の源流はベトナムなんじゃないかと思ったほどでした。
そんな理由で、私は高校最後の春休みを、ほとんどここで過ごしていました。
ミミのひとつ下の妹はリリという愛称で、ブランコに乗りながら、「お医者さんになりたい」と話してくれました。
一番上のお兄さんはルーさん、「アメリカがみんな悪い。アメリカ大嫌い」と言っていました。
ミミたちのお父さんは、旧政府の高官だったみたいで、新政府に拘束されているようでした。
それから私は東京に行くことになり、その後、ミミ一家はアメリカに受け入れられる事となりました。
出発の時間を聞いて、成田空港に見送りに行ったのですが、会ったり、話したりする事はできませんでした。
というわけでもないのですが、最初に入ったパビリオンは、ベトナム館。
ここは、ほとんど民芸品屋さんという感じで、つい、こちらの帽子を購入。
楽天より、高かったですけどね。
違和感無いですよね。
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