こちらは、私の展示です。
Yasukuni Mai 2014 Galerie SATELLITE 2
Yasukuni Mai 2014 Point Line 白色セメント 粘土 墨 ガラス
Galerie SATELLITE 2 2014
作品について前に書いたものですが、ご紹介させていただきます。
< POINT LINE >
点という概念にすぎないものが、視覚化された瞬間に、それは面積をもち線にかこまれたものとなります。
同様に線も、線に囲まれ、終わりをもつものとなります。
視覚化された線の中には点を、点の中には線を内包仕合います。線は無数の点の集合体であるかもしれませんし、点もまたその内に点や線を内在するものかもしれません。と同時に、それらは本来の情報体としての属性も持ち続けています。
ちょうど、種子が生命情報を秘め、それが具現化され花開き、また種子へとその情報を戻し、時に凍結し、時間や場所を移して行くようです。
壁のようなものという素材は、地から垂直にたつという縦の軸、時間の中にあり続けようとする横の軸をもち、風化や崩壊を繰り返しながらその中に何かを遺そうというあり方を表現したく選んでいます。
このようなことから、壁のようなものに点と線とを刻み、それら相対の中から生まれ得るものを導き探ろうと試みます。
はい、数学的には点は位置のみを持ち、大きさは持たない、ということになってますが、実際に『点』を描けば、どんなに小さく描いても、大きさを持ってしまいますね。(笑)
返信削除かって、デジタルは、滑らかな連続量であるアナログ量の、哀れな近似としての離散値でしかなかったのですが、昨今の怒濤のデジタル化は、そういう常識を変えつつありますね。
人間の感性は、必ずしもアナログではないように、最近は思えてきました。(愉)
みっちさん
返信削除とても示唆に富んだコメントをありがとうございます。
「デジタルは、滑らかな連続量であるアナログ量の、哀れな近似としての離散値」こんな事も理解せず、アナログとかデジタルという言葉を使っていたのかと、大反省です。
しかもこの表現、なんかすごく美しい。
「感性は必ずしもアナログではない」というのは、とても興味深いお考えです。
別の機会でも結構ですので、その事についてのみっちさんの思考をお聞かせ下さいね。
できれば、「私にも解る『怒濤のデジタル化』」も、どこかでお願いします・・。