「戦時ポスター展」の記事を書いた時、みっちさんに教えていただいた映画「FUJITA」を少し前に観てきました。
小栗康平監督、オダギリジョー主演です。
カタログに掲載されているインタビューによると、藤田嗣治をえがく事は、監督自身の企画ではなく、特に関心のある画家でもなかったそうです。
また、オダギリジョーも、藤田を演じる事よりも小栗作品という事の方が大切だったと語っています。
少し淋しい話のようですが、この事がこの映画をより純粋なものにしているように思います。
小栗監督は、藤田の画をたくさん見て、特有の静けさを感じ、情報は最低限にし、静けさから始める事としました。
オダギリジョーは、小栗監督に身を預けた事により、これまでにない高みに引き上げられたと感じたそうです。
この映画、実に無駄のない構成で、舞台がパリと日本でほぼ二分されています。
時間や場所の交錯もありません。
おかっぱ頭と独特のいでたちで、パリの画壇において異邦人である自分に、いかに目を留めてもらうか奔走する姿。
髪を短く切り、軍服を着て戦争画を画き続ける姿。
生命力に溢れ、躍動的で匂い立つようなパリの女性の美しさ。
大きな力を秘めながら静謐にある日本の自然。
すべての対比が明確です。
説明的な部分は少ないかもしれませんが、藤田の大切にした物の形、その表面的、内面的な質感、音、が表現されており、芸術に対する敬意を感じる映画でした。
見終わって、「もう一度見たい」と思いました。
やはりみっちさんに教えていただいて読んだ「腕一本」の事や、映画の後に行った東京国立近代美術館の展覧会の事もご報告の予定です。