その葉は成育という過程での役割を終えて、自ら落ちる
人の鑑賞の対象となるために、生命体から切り離される。
ニシキギ イチョウ カラスウリ
銅という鉱物が、段ボールの留め具として加工されて、少しの役割を終えて廃棄物となる。
桐の木は木材になり、お素麺を運び、廃棄物となる。
再び、銅に、桐材に戻る姿は、人の加工による完成体より、遙かに美しいのではないかな。
ラズベリー エリカ 銅の留め具
少なくとも、私がものに関われるとしたら、見ること、触れること、思うこと、それだけかもしれない。
ただそれだけの行為において、ものはどれだけ新しい生命性を帯びる事ができるんだろう?
それを見る方の心引くものになり得るんだろうか?
植物 桐箱 銅材
そんな事を思いながらの、ぼんやりな製作に本年も目を留めていただいた皆様、本当にどうもありがとうございました。
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