私、中学・高校がカトリック系の学校で、宗教の授業とかあったりしました。
イエスは「話が終わると、シモンに、『深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。』と言われた。するとシモンが答えて言った。『先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でも、おことばどおり、網をおろしてみましょう。』そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。」
-ルカによる福音書 5章5-7節
この場面が、サウトマンの「Miraculous Draught of Fish」「魚類の奇跡的漁獲」に描かれていたのですね。
右上のところに囲みで「並行記事」と書き込みされています。
並行記事は同じ出来事が別の箇所にも書かれているという事です。
ルカ・マルコ・マタイ福音書は並行記事が多く、マルコ福音書が一番古いので、ルカ・マタイ福音書は、マルコ福音書を参照して書かれたと言われています。
マルコ福音書以外にも資料があったという説があり、これは「Q文書」と呼ばれています。
みっちです。こんばんわ。
返信削除流石にカトリックの教育を受けていると違いますね。
みっちは聖書にある、この大漁の奇跡のことを、見落としていました。(呆)
今改めて見ると、大漁の奇跡は、ルカだけでなく、ヨハネ(第21章)にもありますね。
ただルカ福音書は、布教を始める最初の頃の話となっているのに、ヨハネ福音書はキリスト復活後の話になっています。
それにしても、ルカの方で、なぜペテロは「私は罪人です!」と言ったのでしょうか。
大漁に驚いて言ったにしては、妙な台詞ではないでしょうか。
復活後の話であれば、この台詞は納得なのですが。(イエスを三度否んだ後だから)
一方、ヨハネの方では、ペテロは復活後のイエスに初めて会うみたいなのに、何もそのことには触れないのも疑問です。
(第21章は後世の加筆であるという話もありますね)
授業中は昼寝専門だったので、お恥ずかしいです・・。
返信削除みっちさんがおっしゃる通り、この、二つの大漁の記事は、別の出来事として書かれていると思います。
同じページで並行記事の説明があるのに、「大漁の奇跡」については触れられていないですしね。
もちろん、既にお読みだと思いますが・・
https://en.wikipedia.org/wiki/Miraculous_catch_of_fish
「第一の大漁の奇跡」ルカによる福音書
「第二の大漁の奇跡」ヨハネによる福音書
そして、対で考えた方が良いですよね。
いつもながら、どうもありがとうございます。
絵画的に区別されているのは、
第一の奇跡はキリストがペテロと同じ舟に乗り込んでいる。
第二の奇跡は、キリストは湖畔にたたずんでいる。
第二は寓話的に描かれているものが多いのに対し、
第一は、「もう、魚、こんなに穫れちゃって大変!!」的に描かれてますよね。
ですので、サウトマンのものは、かなり「大変!!」な感じですので、第一の奇跡を描いたものだと思いますが、いかがでしょう?
それから、以下は全く私の勝手な解釈です。
返信削除>なぜペテロは「私は罪人です!」と言ったのでしょうか。
教会的な解釈をすれば、「自分は腕のいい漁師と自負していたペテロが、実は、その魚もそれを獲る自分も神からの賜りものだと気づいたから」という感じでしょうか。
私はもう少し単純に「どうせ獲れないのに、先生がああいうからやってみるか」と思っていた自分を恥じた。ここでイエスへの呼びかけが「先生」から「主」に変わってますよね。
そして、第二の奇跡は、この事の対比として書かれているように思います。
第一の奇跡で、ペテロはイエスを「主」と呼び従うようになった。
第二の奇跡を読むと、「イエスに気づかなかった(21-4)」り、「主であるときいて、湖に飛び込んだ(21-7)」り。
ペテロの裏切りを、主として従った日と同じ事象で表現しているのかなと・・。
表現の中でちょっと気になったのは「網」です。
返信削除第一では、「網は破れそうになった」、第二では、魚は一杯であったが、「網は破れなかった。」となっています。
魚は弟子に喩えられたりするようですが、この網の破れは、ペテロの裏切りの予見で、復活したイエスは、そのような事も凌駕しているという事でしょうか。
みっちさんがおっしゃるように、21章加筆説も多いようですし、153匹についても、いろいろ説があるようですね。
中高生時代、もっと真面目に勉強しておけば良かった・・
はい、ご存じのとおり、このサウトマンの版画は、ルーベンスの1610年の油絵のコピーなのですが、ルーベンスはもう一枚、大漁の奇跡を書いています。(1618-19年)
返信削除http://www.nationalgallery.org.uk/paintings/peter-paul-rubens-the-miraculous-draught-of-fishes
こちらの方は、はっきりルカの第一の奇跡ですね。なにしろイエスが船の上に乗ってますから。
それから考えると、こちらの1610年の方は、イエスの姿が見えないので、ヨハネの第二の奇跡の方という気もしますね。
うわぁ 本当ですねえ。これはまさにイエスが乗ってますね。
返信削除そうなると、みっちさんがおっしゃる通り、1610年の方は第2の可能性が高そうですね。
1618年の絵はどこかで見てると思いますが、何にも考えないで、ぼーっと見てました(恥)
「シテエルへの船出」から、ここまでの事を整理整頓して、まとめようかなっと思って、振り返ってみると、みっちさんに教わったことばかりですね。
本当にどうもありがとうございます。
私のブログは、基本テキスト少なめ「Affiche」ですし、写真も大きくなりませんし・・。
みっちさんのブログで、びっしっと記事にしていただく事はできませんか・・?(願)
「大漁の奇跡」については、絵画の事も、福音書の事も、日本語ではほとんどめぼしい情報がないですよね。きっと、貴重な資料になると思います!
みっちは、ただインターネットの検索をしただけなのです。
返信削除キリスト者でもないしぃ。(汗)
検索のやり方について、多少のスキル(ほんの少し)はあるかもしれませんが。
麻衣さんのリクエストに応じて、どのような検索をしたか、という一連の経緯位は書けるかも知れませんね。
ただ、いずれにせよ、現在読んでいるCity of Dark Magicが片付いてからになると思います。
なにしろ、今、頭の中はすっかりプラハになっています。(笑)
28%読んだところで、遂に主人公の身の回りで、殺人事件が発生!
わくわくしています。(呆)この本はアタリだと思ってます。(^o^)
書き忘れたことが一つ。
返信削除なぜ、サウトマンの版画は、オリジナルのルーベンスの絵の左右逆像になっているのでしょうか?
絵画的に、この逆像の方が好ましいから?
それとも、版画制作の過程で、反対にした方が作りやすかったから?(版画の作り方の知識がないので、イメージが湧かないのですが)
>どのような検索をしたか、
返信削除是非、知りたいですっ
お手すきになったらよろしくお願いします。
>City of Dark Magic
はい
もちろん読ませていただいてます。
魅力的なプラハの街を舞台に、どんな謎解きがあるか楽しみです!
サウトマンの版画はエッチングですので、銅版に防蝕剤を塗って、その上をひっかくように描きます。
返信削除腐蝕剤に付けて、ひっかいた部分の銅を腐蝕させて、その溝にインクをいれて、プレス機でプリントします。
サウトマンはルーベンスのオリジナルを模写して、それを銅版に描いたと思いますが、そのままプリントすれば完全に絵は反転します。
現在なら、反転させた原画を模写する事は、難しくないと思いますが、当時は、それが出来なかったのかもしれないですね。
みっちの素人考えでは、単純に下絵をトレーシング・ペーパーに書き、それを裏返して版木(といっても銅板か)に転写すればいいのかな、と思っていたのです。できない理由があったのかなぁ。
返信削除逆像の方が、絵画的に良い、というのはなさそうですよね。
>是非、知りたいですっ
では、プラハが一段落したら。(笑)今Kindleのメーターで、70%位です。(嬉)
主人公サラは大変なことになってますが、こういう手の小説は、あまりネタバレできないので、ブログの書き方は悩みます。(難)
みっちさんが「美術に素人」だなんて、決して思いませんが・・。
返信削除おっしゃる通り、トレーシングペーパーを使えば反転させるのは、簡単ですよね。
当時の技法や、トレーシングペーパーの歴史とか、ちょっと調べてみますね。