展覧会のお知らせ

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2019年1月15日-28日

2012年4月16日月曜日

Oxford Speech by Michael Jackson_9

お父さんに対する感情の変化を表現した1文です。


In the place of anger, I have found absolution. And in the place of revenge I have found reconciliation. And my initial fury has slowly given way to forgiveness.


Oxford Speech by Michael Jackson_9

この事について考える時、それは、どうか子供達が私を冷たく裁かないようにと、また、到らない点を許してくれるようにと願う時、私は私自身の父の事を、思わざるを得ません。

そして、幼い時からの拒絶があるにしても、父は私を愛そうとしてくれていたのだと、そう認めざるを得ません。
彼は、私を愛してくれました。そして、そのことを私は知っています。

「MICHAEL JACKSON」

それを示す小さな出来事がありました。

私が小さい時、甘いものが大好きでした。もちろん私達は皆そうですけれど。
私の大好物はグレーズドドーナッツ(シロップのかかったドーナッツ)でした。そして、父はその事を知っていました。
何週間かに一度、私が朝1階に降りて行くと、キッチンカウンターの上にグレーズドドーナッツの袋が置いてありました。
なんのメモも説明もありません。ただドーナッツが置いてあるのです。
それは、まるでサンタクロースのようでした。
私は時々、夜遅くまで起きていて、彼がそれを置いているのを見ようかと考えました。
けれど、ちょうどサンタクロースがそうであるように、もし見てしまうと、二度とこのような事はしてくれなくなり、この素敵な魔法を台無にしてしまう、そんな事はしたくありませんでした。
私の父は夜中に密かに、それを行わなくてはいけませんでした。そして、だれも父が気を許している所を目撃してはいけませんでした。

父は人間の感情を恐れていました。彼には、それが理解出来なったし、どのように扱ってよいかわかりませんでした。
でもドーナッツの事は知っていました。

私が心の堰を開く事を許したとき、多くの思い出がよみがえってきます。
それは不完全なものだけれど、彼が出来ること示そうとした小さな動作の思い出です。
「Moonwalk」  Michael Jackson

ですから今夜は、私の父が何が出来なかったのかではなく、彼の行った事、彼自身の挑戦に焦点を当てたいと思います。

私は彼を審判することは止めたいのです。

私は父が南部のとても貧しい家庭に育ったという事実について、まず考えようと思います。
大恐慌時代に育ち、彼自身の父親も子供達を食べさせてゆくのに必死でした。
家族に愛情を示す事はほとんど無く、私の父とその兄弟達を厳しく育てました。
南部の貧しい黒人がどのように育ったか、だれが想像できるでしょうか。
彼らの尊厳は奪われ、希望は摘み取られ、最も下層な人間と見られる世界で、もがきながら大人になりました。
私はMTVで放映された最初の黒人アーティストです。
その時でさえ、そのことがどんなに大きな出来事であったか私は覚えています。
1980年の事です!
「Moonwalk 」 Michael Jackson

父はインディアナに移動し、彼自身の多くの家族のために、鉄工所で長時間働きました。
そのことは彼の肺を蝕み、精神を貶めて行きました。それはすべて家族を支えてゆくためです。
彼が感情を表す事は難しい事だと思っても、何が不思議な事があるでしょうか。
厳しい環境のなかで心を強くし、感情の城壁を築いた事は不可解な事でしょうか。
彼が経験した、尊厳を奪われた貧しい生活から、息子達を救い出すために、パフォーマーとして成功するよう厳しく押し出したとしても、どんな不思議な事があるでしょうか。

私は父の厳しさも愛情の一つだと思うようになりました。
それは不完全な愛ですが、それでも確かに愛です。
彼は私を愛するがために厳しい練習を強いました。
自分の子供たちを、見下げられるような人間にしたくなかったからです。

ですから、時間が流れた今、それらのことは苦々しい事というより、ありがたいものだと感じるようになりました。
怒りに充ちていた場所に、赦しを見いだす事ができました。
復讐心に充ちていた場所に、和解を見いだす事ができました。
そして、私の最初の憤激は徐々に赦しへと導かれました。




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