展覧会のお知らせ

<展覧会のお知らせ>

ゆう画廊(銀座)
2017年10月23日(月)-28日(土)
23日 17:00- オープニングパーティー

2015年12月30日水曜日

植物_銅_桐

その葉は成育という過程での役割を終えて、自ら落ちる
人の鑑賞の対象となるために、生命体から切り離される。

ニシキギ イチョウ カラスウリ

銅という鉱物が、段ボールの留め具として加工されて、少しの役割を終えて廃棄物となる。
桐の木は木材になり、お素麺を運び、廃棄物となる。
再び、銅に、桐材に戻る姿は、人の加工による完成体より、遙かに美しいのではないかな。

ラズベリー エリカ 銅の留め具


少なくとも、私がものに関われるとしたら、見ること、触れること、思うこと、それだけかもしれない。
ただそれだけの行為において、ものはどれだけ新しい生命性を帯びる事ができるんだろう?
それを見る方の心引くものになり得るんだろうか?

植物 桐箱 銅材

そんな事を思いながらの、ぼんやりな製作に本年も目を留めていただいた皆様、本当にどうもありがとうございました。


2015年12月29日火曜日

小さい葉ボタン

手のひらサイズの小さい葉ボタンです。

Brassica oleracea var. acephala f. tricolor アブラナ科アブラナ属

2015年12月28日月曜日

23th 小さい絵展

「ゆう画廊」の新年のグループ展、「小さい絵展」に参加します。

画像はクリックで大きくなります。


2015年12月25日金曜日

Église Saint-Éloi de Paris

パリでの展覧会の間、滞在させていただくアパートの近くの教会です。
時間毎に綺麗な鐘の音が聞こえます。
Église Saint-Éloi de Paris

2015年12月24日木曜日

Abbaye de Saint-Germain-des-Prés

パリのサン・ジェルマン・デ・プレ教会です。
「教会」はフランス語で「Église」ですが、この教会は「Abbaye」 「修道院」という言葉で名付けられています。
もともと、大きな修道院に併設されて、建てられたものだそうです。
Abbaye de Saint-Germain-des-Prés 2014

皆様、どうぞ素敵な聖夜をお過ごし下さい。

関連記事:「Saint-Germain-des-Prés

2015年12月18日金曜日

木の下_横

今年は、暖かい師走ですね。
茨城では、野菜が育ちすぎて出荷できず、畑に戻したりしているそうです。

皆さま、体調など崩されていないですか?


たんぽぽも咲いてたりして

2015年12月15日火曜日

コップのフチの太陽の塔

「コップのフチの太陽の塔」シリーズの「ひっかかり太陽の塔」です。

後ろからみるとちょっと斜め

あの有名な「コップのフチ子」さんを企画、デザインしたタナカカツキの作品です。
タナカカツキさんによるイラストも素敵です。

こちらは、「腰かけ太陽の塔」です。

かなりふんぞり返っていますね。

シリーズで何パターンあるのですが、二つで我慢しました。





2015年12月12日土曜日

カルーナ ブルガリス

カルーナ ブルガリスです。
先日ご紹介した「エリカ」と同じツツジ科で、やはり、ヒースランドに咲く花です。
Calluna vulgaris ツツジ科 カルーナ属

2015年12月10日木曜日

藤田嗣治展_MOMAT

映画「FUJITA」を観た後、東京国立近代美術館の「藤田嗣治展」に行ってきました。
映画公開に合わせて、全所蔵作品を展示するという展覧会でした。
 

私の(画家だった事のある)祖父も、(小磯良平に師事していた)父も、藤田嗣治の事は、日本の画壇とは一線を画した異次元の画家として、特別な敬意を持って話しておりました。小さい頃からその名に馴染み、作品も画集などで、たくさん見せてもらった記憶があります。
でもその後、だんだん実際の社会的評価はそれとは異なる事に気づいてきました。
映画「FUJUTA」のコピーも「あなたはフジタを知っていますか?」ですから驚きです。

けれど、私も藤田がこんなに多くの戦争画を書いている事は知りませんでした。

南昌飛行場の焼打  1938-39

先日ご紹介した藤田の著書「腕一本 巴里の横顔」には、「油絵への注文」という項があり、そこからは、藤田がいかに顔料や油など、物質としての絵具を大切にし、研究していたかが窺えます。
また、絵画は何十年先に見られる事も考慮すべきだと、書かれています。
その言葉通り、戦争画以外の作品は90年以上の時を経ても、ひび割れや変色もなく、藤田の目指した質感と思われるままに残っています。

タピスリーの裸婦 1923

藤田は陸軍軍医総監であった大好きな父親への思いもあり、戦争画に向かったと思います。
初期のものこそ、少年が描く絵のような明るさもあるのですが、だんだんと茶色い世界になってゆきます。

○○部隊の死闘-ニューギニア戦線 1943


たくさんの人物が描かれていますが、私には深い泥の海のように見えました。
この茶色い絵を見ながら、これは、油の褐変によるものか、当初からこの色だったのか考えました。
そして、これは全く私の勝手な見解なのですが、これは、油の褐変によるもので、しかも画かれた時から、予定されたものではないかと思うのです。
そこに藤田がどんな思いを込めたのかは諮り知れません。

ただこの展覧会は、いかに藤田作品が日本で評価されていないか、という事がひしひし伝わってくるものでした。

血戦ガダルカナル 1944


それは、この図録の素っ頓狂なまえがきにも表れています。

1920年代、パリで成功を収めた理由は何だったのか。なぜ日本に戻り、戦争画を制作したのか。戦後フランスに渡り、何を考えていたのか。藤田をめぐるさまざまな問いは、いまもわたしたちに未解決のまま残されています。
この秋、藤田の魅力/魔力と「MOMATコレクション」の底力をどうぞ感じてください。」


2015年12月7日月曜日

腕一本_巴里の横顔_藤田嗣治

先日ご紹介した映画「FUJITA」のモデルとなった藤田嗣治のエッセイ集です。
主に、「巴里の横顔」と「腕一本」が出典となっています。
明治の文豪のようなずっしりとした文体で、驚くような内容が次々と書かれていますが、人や物に対する愛に溢れており、藤田嗣治という人が立体的に浮かび上がってきます。
興味深い逸話がたくさんあり、何をご紹介しようか迷ってしまいますが・・。

後半に「現代大家」と題され、交流のあった画家についての文章があります。
藤田自身も自分をプロデュースし、著名な画家となるための努力を怠らなかった人ですが、無名時代の「ピカソ」が自分を売り込むために仕組んだ、ちょっと姑息で、かわいいエピソードがあります。
友人に画廊に行ってもらい「貴方の所にピカソの絵はないのか、是非みたい」と言わせます。
そうして画商を「ピカソの絵というのは一体どんなのか」と、ピカソを知らなければいけない破目に陥らせ、自分の絵に注目を集めさせたそうです。

一方、こういう事のできなかった「パスキン」や、「モデリアーニ」は、若くして自らの命を絶つ事となります。
「パスキン」と「モデリアーニ」の項は、多くは語らず、半ページにも満たない短い文章なのですが、心に響くものがあります。
そこのある「モデリアーニ」の姿は、「モデリアーニ」を主人公とした美しい映画「モンパルナスの灯」そのままです。


とても、すばらしい本なのですが、個人的には、未発表ノート、特に「夢の中に生きる」は掲載しない方が良いのではないかと思いました。


藤田嗣治が、日本に帰り、おかっぱ頭を切った時の一節です。

今日からオカッパ頭と呼ばれることはなくなったと同時に、新称イガ栗という名称が待ちかまえていることには気づかなかった。
怪獣から果物に変わった。動物園から抜けて植物園に移った。
私は、鏡の前におのれの顔を映して見入るとき、過去二十七年間の風貌は今日消滅して、私の顔が、今日もなお健在である八十七歳の老父に彷彿たるもを見出したとき、はじめて、自己自然の姿に立ち帰り、日本の国土に根を持つ民草の一本といて、生をこの安泰の恵みに浴し得ている有難さに感涙したのであった。
「河童頭新体制」藤田嗣治

2015年12月4日金曜日

CITROËN C4_Majorett

シトロエンC4のミニカーです。
私が乗っているのが、シトロエンC3で、C4は一つ大きい型のものです。

このミニカー、フランスのマジョレット社のものです。
そして、なんとガムのおまけなんですね。
ミニカーの後ろに見える袋がガム本体です。

他にも欲しい車種があるのですが、なかなか売っていないんです、このガム・・

関連記事:「CITROËN C3 Pluriel

2015年12月3日木曜日

銀杏の研究

こちらは、2014年1月にぎんなんを植えた銀杏です。
3片のぎんなんから、発芽したものです。
立派な木になってきました。
3片のものは雌株という説もありますが、葉っぱはびらびらです。

こちらは、その翌年に植えたものです。
こちらは、2片のぎんなんから、発芽したもの。
写真は少し前のものです。

こちらは、3片のぎんなんから発芽したもの。
なんか、みんなびらびらなんですけど・・。
銀杏の研究は続きます。

関連記事:「ぎんなん

2015年11月30日月曜日

FUJITA_小栗康平

「戦時ポスター展」の記事を書いた時、みっちさんに教えていただいた映画「FUJITA」を少し前に観てきました。
小栗康平監督、オダギリジョー主演です。
カタログに掲載されているインタビューによると、藤田嗣治をえがく事は、監督自身の企画ではなく、特に関心のある画家でもなかったそうです。
また、オダギリジョーも、藤田を演じる事よりも小栗作品という事の方が大切だったと語っています。
少し淋しい話のようですが、この事がこの映画をより純粋なものにしているように思います。
小栗監督は、藤田の画をたくさん見て、特有の静けさを感じ、情報は最低限にし、静けさから始める事としました。
オダギリジョーは、小栗監督に身を預けた事により、これまでにない高みに引き上げられたと感じたそうです。
この映画、実に無駄のない構成で、舞台がパリと日本でほぼ二分されています。
時間や場所の交錯もありません。

おかっぱ頭と独特のいでたちで、パリの画壇において異邦人である自分に、いかに目を留めてもらうか奔走する姿。
髪を短く切り、軍服を着て戦争画を画き続ける姿。

生命力に溢れ、躍動的で匂い立つようなパリの女性の美しさ。
大きな力を秘めながら静謐にある日本の自然。
すべての対比が明確です。
説明的な部分は少ないかもしれませんが、藤田の大切にした物の形、その表面的、内面的な質感、音、が表現されており、芸術に対する敬意を感じる映画でした。
見終わって、「もう一度見たい」と思いました。 
やはりみっちさんに教えていただいて読んだ「腕一本」の事や、映画の後に行った東京国立近代美術館の展覧会の事もご報告の予定です。

2015年11月28日土曜日

淡雪エリカ

淡雪エリカいただきました。
エリカは英語名ヒース(heath)
あの「嵐が丘」の丘に咲く花です。

挿し木してみようと思ってます。
Erica ツツジ科エリカ属


2015年11月27日金曜日

2015年11月26日木曜日

Beaujolais Nouveau_2015_Paris

画廊からの連絡

テロ後初めての展覧会が開催され、オープニングには、いつもより多くの方が来て下さったそうです。

23日月曜日までは、追悼のため公共施設は閉じられていたが、火曜日からは平常通り。
カフェにも今まで通り人が集まっていて、日本の報道には違和感を覚えるとの事。

ボージョレ解禁は、広場に追悼のロウソクを灯し行われ、ロワール川では、恒例の川ます釣りのコンテスト。

でも、善良なアラブの人達が暴漢に遭い、画廊近くのアラブカフェのオーナーはご近所に頭を下げ、「私達はテロとは無関係です。」と挨拶回り。

こちらではアラブ系、アフリカ系の名前だとマクドナルドのバイトも撥ねられる。未来のない若者がイスラム国へと流れてる。

2015年11月25日水曜日

癩王のテラス_三島由紀夫

今年は、三島由紀夫生誕90年、没後45年、何かと数字の綺麗な方ですね。
1125日は晴れる事が多いそうなのですが、今日は冷たい雨でした。

こちらは「癩王のテラス」
三島由紀夫最後の戯曲です。

1965年に「暁の寺」の取材でタイを訪れた際に、カンボジアのアンコール・トムも見学し、この戯曲の構想が成ったそうです。
実際には、困難だと思われた上演が決まった1969年に執筆されています。

司修さんの装幀が素敵ですね。

美しい肉体を持ったカンボジア王が、癩に犯され、その肉体が崩壊していくに従って、建設中の寺院バイヨンは完成に近づいてゆきます。
緻密でスピログラフのような美しさの「サド公爵夫人」などと比して、この作品はなかなか大胆で、離れ業ともいえるような展開も駆使されています。


三島由紀夫、書簡の中で、自身の「バイヨン」は「豊穣の海」である事を綴っています。

この戯曲、来年3月に宮本亜門さん演出で、上演される事が決まりました。
「癩王のテラス」の文庫本は廃刊になっており、現在、古書か全集でしか読めません。
すごい戯曲だと思いますので、これを機に復刊してくれると良いですね。


3幕第2場 癩王の「肉体」と「精神」の対話

精神 澄みやかさと鋭さと、この世の果て、この世の底をのぞく力、それがバイヨンを建てる力だった。肉体にはそんな力はあるまい。おまへは肉の檻にとらはれた奴隷にすぎぬ。

肉体 まるでおまへのはうが俺より自由だとでも言ひたげだな。走れないから自由、飛べないから自由。歌へないから自由、笑へないから、戦へないから自由だとでも言ひたげだな。

精神 私は千年の時間を走る。おまへは空間の中を走るにすぎない。


肉体 空間の中には光りがある。花々が咲き、蜜蜂が唸つてゐる。ある美しい夏の午後は永遠だ。それに比べれば、おまへが時間と呼ぶものは、湿った暗い一筋の地下道なのだ。

三島由紀夫 「癩王のテラス

関連記事:「市ヶ谷駐屯地跡

2015年11月21日土曜日

2015年11月19日木曜日

small windows with candle

今日はボージョレヌーボー到着の日
早割予約をしていましたので、これから取りに行ってきます。

Yasukuni Mai ゆう画廊 2015 Candle Night

2015年11月17日火曜日

2015年11月16日月曜日

Paris 13.Novembre

パリで亡くなられた方々にお悔やみ申し上げます。

Paris  2014


今回の襲撃現場は、サンドニの競技場以外、パリ11区で、主に、レ・ピュブリックとナシオンという広場を結ぶヴォルテール通り周辺です。
私がお世話になっている画廊は、このヴォルテール通りから少し入ったところです。
画廊から一番近くの現場、カフェ「ラ・ベルエキップ」は、200メートルも離れていません。
画廊の方とはすぐ連絡が付き、無事を確認し、メールも送受信できました。
この日は、フランスがシリア空爆をしてから、最初の13日の金曜日であったので、悪い予感がしていたそうです。

Paris  2014

パリは厳戒態勢にあったとされていますが、カフェは通りに面して開放されていますし、コンサートホール「バタクラン」も、公共施設のような手荷物検査の行われないところだったそうです。
襲撃による帰宅困難者は近くの民家に宿泊、「悲劇が起きたとき時、フランス人の結束は強い」とのこと。
14日には、公共交通機関は通常通り、お店なども現場付近以外通常通りの営業。
日本で一部報道されているような、外出禁止令などはないそうです。
そして、メールの最後はこのような言葉でした。
「この1週間ほどで、パリは又、何事もなかった様になるでしょう。フランスは昔から外部の攻撃を受けていて即座に再生する能力を持っています。」

Sainte-Chapelle_Saint-Germain-en-Laye 2014

Toutes mes condoléances.