展覧会のお知らせ

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2015年9月25日金曜日

満潮_マンディアルグ

先日、京都でyomodaliteさんに教えていただて読んだアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの「満潮」

河出書房新社 細田直孝訳

こちらの表題作、美しい情景の素敵な短編です。
ただ、個人的な意見なのですが、少し原作の雰囲気とは違うんじゃないかなあという日本語になっているように思います。(すみません・・)
違う感覚を違う言語に置き換えて表現するのは難しいですね。

ちなみにyomodaliteさんの読まれたのは、生田耕作訳だそうです。
「マイケルと読書と、、」



「まだ遊ぶ時間があるわ」と彼女は言うのだった。
 彼女を憐れみ、いたわる気持ちになったことが、ぼくには恥ずかしいくらいだった。
「いや」とぼくは言った。「この崩れた岩場にきたのは遊ぶためじゃなく、きみの勉強のためだったんだよ。これからは潮の満ち引きがどんなものか、きみにはわかるはずだよ」

     -「満潮」 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ 細田直孝訳

5 件のコメント:

  1. 細田訳も素敵な感じだね、

    >少し原作の雰囲気とは違うんじゃないかなあ、、

    原文も見てみたの? 紹介してくれた箇所を、生田訳でも見てみたんだけど、ほぼ一緒で、崩れた岩場っていうような表現がなくて、ただ「ここに来たのは、、」だった。

    そんなわけで、ここはどう?

    「この満潮によって浸蝕されていく岩でできた小さな円形劇場の奥の、砂利洲の上で、私たちが相対しているのは、内緒の風変わりなダンスか、それともなにか体操の一種を行うためにちがいないと。もう一方の手で、私は服の下の彼女の体を愛撫するのだった。」

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  2. マイケル・ジャクソン「ヒストリー・ティーザー」で大変なところ、コメントありがとう!

    >原文も見てみたの?
     ううん・・、見てない。いいかげんな事言ってるね。

    でも、なんで、そんな風に思ったかっていうと・・。
    生田訳も「勉強のためだった」って、表現になってた?
    例えば、「勉強(する)」って訳されるフランス語を私が思い浮かべるだけでも、
    「etudier」「travailler」「apprendre」(アクセント記号は省略ね)
    とかあって、これがそれぞれ、微妙に意味合いが違って、どの言葉が使われていたかわからないけど、いずれにしても「勉強」じゃないんじゃないかなって、思ったの。
    おこがましい事言って、恐縮です・・。

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  3. 「ここ」はこんな感じです。
    「それで(もし誰かがぼくたちを窺っているとしたら)、ぼくたちは、上潮に浸された岩の、小さな円形劇場の底の小石の洲の上で、身体を寄せ合い、一種の打ち解けた奇妙なダンスか体操を演じているように見えたかもしれない。ぼくはもう一方の手で、服の下の彼女の身体を愛撫した。」

    ここもそうだけど、細田訳は、とても丁寧に、原文に忠実に訳している感じだよね。

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  4. >細田訳は、とても丁寧に、、、、

    ふむぅ。。そうだねぇ、、でも、生田訳の日本語のこなれ感の方が好きかな。。

    >きみの勉強のためだったんだよ。

    のところは「ここへ来たのは遊ぶためじゃない、きみに教えるためさ。これできみは潮の満ち引きとはどういうものかわかっただろう。」なの。

    なんとなくだけど、やっぱり生田訳の方が、従兄弟が従っちゃう感じかも(笑)

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  5. >生田訳の方が、従兄弟が従っちゃう
     そうだね、、「きみに教えるためさ」って、かなりニュアンス違うね。
     そのうち、原文も探してみる。

    生田訳の「オ-トバイ」も注文したから、読んでみるね!

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